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二話 幼蝶は人が嫌い1

 

 レンの父母は魔法学者だった。
 空気中に漂う「魔素(まそ)」と呼ばれるものを力に変える技術、それが魔法だ。
 蝶の民が数多く暮らすその国は、非常に魔素が濃い土地として有名で、レンが三歳になるのを契機に移り住んだのだ。レンを一所で育てるため、それでいながら研究も続けるために選んだのがその土地だったらしい。
 その国――蝶の国と呼びならわされているのにも分かる通り、国民の殆どが不思議な生態を持つ蝶の民だ。
 とはいえ、自分たちとは異なる他国民に冷たい、などということはなく、蝶の民ではないレンも差別などとは無縁の中、すくすくと育った。
 この国こそ自分の故郷。
 レンはまっすぐにそう思えており、それは両親の希望に適っていた。
 そして十六歳となったレンは周囲と同じように、アカデミーへと入学した。
 国内の各地にある国が運営する教育機関で、十六歳になった少年少女たちは、全員の入学が義務付けられている。
 もっとも、それよりも年少時には初等教育機関―― 一般に学校と呼ばれる――への通学は普通であるため、誰もアカデミーへの入学に抵抗を示すことはない。
 ただ一点、難があるとすれば……

「えーっと、三階の端から五つ目……、ここ、だよな?」

 レンは入学に際して配られたプリントを手に、ある部屋の前へと来ていた。
 その手の中にある紙にはこう書かれている。

 ――「寮の割り振り、及び注意事項について」

 ここは、学生たちが入寮する寮の中だった。
 初等教育機関に比べ、アカデミーは数が少ない。そのため、近い場所に住んでいる極一部を除き、大抵が寮生活を送ることになる。そのせいで毎年、例えば脱走といった問題が起こるのだとか。
 レンは王都に住んでいた。そのため、同じく王都にあるアカデミーには通学可能だったのだが……。

「そういや父さんたち、今はどこにいるんだろ」

 研究者である父母たちは、レンに入寮を頼み込み、今はどこの空の下にいるのやら、である。
 もっとも、十二、三を超えたあたりから、時折出張だと言って家を空けることもあったので、入寮を仄めかされた時も「やっぱり」としか思わなかったのだが。
 もっともこれを話すと、大抵の大人たちはレンを可哀想がったが、レン自身はキラキラした顔で魔法の神秘について語る両親が大好きなので、全く問題に思ったことはなかった。

「――っと、入るか」

 いつまでも部屋の前でうろうろしていうわけにはいかない。
 レンは扉のノブを掴んで、そろりと開けた。

「あ」

 部屋の中を覗き込むと、既に別の人間がいた。
 別に驚くことじゃない。この部屋は二人部屋だ。つまり同室者がいるということで、多分、彼がそうなのだろう。
 その少年が振り向く。肩口で切りそろえられた黒髪が揺れて、同じ色の瞳がレンを射抜いた。

「は、はじめまして! 同室の……やつだよな?」

 黒髪黒目は、未羽化――羽化前の蝶の民――の者に多い色だ。

「……同じ部屋に来たんだから、そうだろうね」

 どうにも口調に素っ気ないものを感じる。人見知りなのだろうか。
 レンはめげずに彼に手を差し出した。

「俺、レン。お前は?」
「…………ファル。聞かなくても、名簿でわかるだろ」

 それだけ言うと、ファルはふいっと後ろを向いて、読んでいる途中だったらしい本に目を落とした。握手しようと差し出した手はそのままだ。
 さすがにムッとしたレンだが、初対面だもんな、と無理やり納得して、自分に充てがわれた方のベッドに荷物を置いた。

「なあ、お前、どっから来たんだ? 俺は王都出身なんだけど親が研究者でさ、調査に行きたいから入寮してくれ、って言われたんだよ」

 少し言葉を切ってみるが、ファルからの返答はない。
 これ、やっぱり無視――
 そう考えかけて、いやいやと頭を振る。返答を求めてると思ってないのかも。

「でもさ、ああいう『脇目も振らず』みたいなとこ、すげぇな、って思ってんの。俺もああいう風になりたくてさ……、お前は上級課程への進学考えてんの?」

 アカデミーには、十八歳までの通常過程とそれ以降から二十三歳までの上級課程の二つがある。義務とされているのは通常過程までで、それ以降に進むかどうかは、各個人の自由だ。通常過程で卒業する者も多いが、上級課程まで修了しておけば、職業選択の幅が広がる。
 ちなみに通常過程の二年間、アカデミーに在籍するのが義務化されているのは、その十代後半から二十歳までの間に、蛹化(ようか)――つまり羽化の準備段階の期間を迎える者が多いからだ。蛹期(さなぎき)と呼ばれるその期間は、個人差があるものの三ヶ月から半年ほど。蝶の民に等しく訪れるその時期を、国がサポートしようという考えらしい。
 レンには直接の関係はない話だ。だが、とても興味深く思っている。なぜなら――

「俺はさ! 行こうと思ってるんだ。だってそうしなきゃなれないだろ? 蝶の民の研究者にさ!」

 その時、バンッと大きな音がした。
 レンがびっくりして音の方向――ファルの方を見ると、彼が勢いよく本を閉じた音だと分かった。

「ファル……?」
「うるさい!!」

 彼は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、猛然と部屋の外へと通じる扉の方へ突進した。そして、そのノブを掴んで扉を開ける。そこで足を止めた。

「僕は君と仲良くする気はない。話しかけないでくれ」

 レンが呆気に取られる中、ファルは扉を叩きつけるように閉めて部屋を出ていった。

 

 

***

 

 

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