姿を消した彼は海に魅せられた男と邂逅し3
海の畔に住む彼――ツェントは、ミアメールで生まれ育った画家だ。
見る度にその顔を変える海の景色を愛し、ただその美しさを絵に描き起こしてきた。
彼にとって大事なものといえば、海と――あとは、一つ下の妹。そのくらいだった。
「……おかしい」
どうにも集中できず、キャンバスに絵筆をとるのを諦めたツェントは、スケッチブックを前に鉛筆を握りしめて、小さく呻いた。
目の前の紙には、先程一度だけ見た見知らぬ青年の横顔が描かれている。
「おかしい」
ツェントは頭を抱えて溜息をついた。
ラフ画として描かれた名前も知らぬ青年は一人ではない。数ページに渡り、幾度も描かれていた。
目が合った時の驚いた顔。目を伏せた時の眼差し。足早に去る横顔。歩き去る後ろ姿。果ては、遠くに小さく見える、ヤシの木に寄りかかって海を見つめる様子を描いていた。
「俺が、こんなに誰かを描くなんて……」
これまで、ツェントの目を奪うのは海の景色ばかりだった。家族や友人を手慰みに描くことはあったが、こんなにも一心に――時が経つのを忘れるほど描いたのは初めてだった。
彼がツェントの前を通ったのは昼過ぎだっただろうか。しかし時刻は既に夕方。赤い日が海の向こうに消えようとしている。
「少し寒くなってきたな……」
ようやく多少は気が済んで余裕が出たのか、自身の身体を冷やす潮風に気付く。ふるりと身体を震わせて、部屋の中へ戻ろうかと思い――、ふと足を止めた。
「――彼はいつまであそこにいるんだ?」
ヤシの木の根元には、いまだに件の青年がいる。
あのままでは風邪を引いてしまう。
ツェントは居ても立ってもいられなくなり、テラスから階段を下って浜辺へと降りる。
そして、早足で青年の元へ急ぐのだった。
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