姿を消した彼は海に魅せられた男と邂逅し4
肩をゆすぶられる感覚。
そのやわい振動に、ゆるゆると意識が浮上していく。
「…………ぅん……」
ゆっくりと目を開けると、手元にはびっしりと文字の並んだ手帳がある。
何のことはない。自分がいつも言葉をしたためている手帳だ。
じゃあ自分は何をしていたのだったか。
ニクスはのろのろと頭を上げて――、目を見開いた。
「あ、んた……、たしか」
目の前に整った顔を男がいる。
その端正な相貌にしばし見惚れて、思い出した。
浜辺から見えた家にいた男だ。
ぱちぱちと目を瞬かせると、彼はほっと表情を緩めた。
「よかった、目が覚めたか。もう日が落ちてきた。風邪をひくぞ」
「あ……」
男の言葉に周囲を見渡せば、太陽は水平線の向こうに沈もうとしている。
どのくらい寝ていたのか、冷たい潮風が身に沁みた。
「えっと、その……ありがとう。あんたの言うとおり、風邪をひくところだった」
ニクスは立ち上がると、砂のついた尻をはたく。
そして男の方へ向き直ると、丁度彼の後ろに紫色がかった夕暮れの空と、同じ色をした海が見えた。男は逆光になっていて、なんとも言えぬもの寂しいような、それでいて艶めいた、そんな景色がある。
ニクスは衝動的に、一度は閉じたはずの手帳を開き、浮かんだ言葉を書き留めていく。
「――君は、作家か?」
一通り書き終えた頃、男が口を開いた。
「そんな大したのじゃないよ。ただ……趣味で、その……詩を書いてる」
ニクスはどことなく気恥ずかしさを覚えて、ふいと海の方に視線を向けた。
「ここの……海が忘れられなくて、移ってきたんだ」
男もニクスにつられるように海に顔をむけて、目を細める。
「ああ……。それは、よく分かる」
お互いそれきり黙って海に沈む夕日を見ていた。
その時、ふいに強い風が吹いて、髪を乱していく。あまりに強い風にぎゅっと目を瞑り――、次に開いた時、男と視線が絡んだ。
「――――あ、と……、僕っ、もう行く、から……」
絡めとられそうな視線だった。
それが少しだけ怖くて、ニクスは傍らの鞄を掴もうとする。だが、慌てていた手は上手くその鞄を掴めずに、半開きのそれから中身が飛び出した。
「あっ」
財布と家の鍵。それから、もらったばかりの求人情報の書かれた紙。
「君は……」
男がその紙に指で触れる。
「仕事を探しているのか?」
「……その、まだこの町に来たばかりだから」
落ちた私物を仕舞ったニクスは、最後に紙を拾い上げようとした。
だが、その手はその紙に触れる前に、男に掴まれる。
「っ!?」
ニクスは驚いて抗議の声を上げようとする。しかし、それが言葉になる前に男はこう言った。
「なら、俺の家で働かないか?」
「…………え?」
寄せては返す波の音だけが聞こえる。
空には星が輝きはじめていた。
***
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